男子の枕中記

日記ブログです。映画と本の話をすると思います。

2020-08-27 けいおん‼・読書・映画けいおん!

11時頃、起床。というのは嘘で、一晩中『けいおん‼』を鑑賞。最終話でボロッボロに泣いた。感想は後ほど。

昼食、オムレツとソーセージとトースト。久々に自分で用意した。おいしい。ここ最近の顎の痛みを報告。すぐに昼寝、17時起床。

18時半頃、夕食。ハンバーグ(2個)とポテトポタージュ。美味しかった。その後は読書。『天才柳沢教授の生活』を読みつつ『文学部唯野教授』を読了。おかしな話でござんすね、批評はもちっときちっと勉強してもいいかもね。『世界の独在論的存在構造』も一章進めた。まだまとめられません!

風呂、『これがニーチェだ』の序章を読んだり。

 

 『映画けいおん!』を鑑賞。ぼろっぼろ泣いてしまった。

 そもそもTVシリーズけいおん!』を私はどう観ていたかな。いま宇多丸のシネマハスラーを聴いているから、影響されちゃう気がして心配である。宇多丸はまずアニメーションの快感を評価している。私はこれがわからないのだよな。『スパイダーバース』でも映像美に激烈に痺れないような男だから...。

 まあオタクらしく「推し」の話からしなければいけないんですかね。

あずにゃんペロペロ(^ω^)

これは失礼、取り乱してしまいました。10年前のオタクに化けてしまった。というより私はこのような形で中野梓さんを受容していない。中野梓になりたい。なぜなら彼女は(特に最終回において)われわれと同じ〈観客〉だったから。(宇多丸が指摘する前に私はこれを書いているぞ、これくらいのリテラシーはあるんだ)

 正直、s1e9の梓登場回にはちょっと「ぎすっ」とした感じにびびっちゃったけど、梓さんはめちゃくちゃいいキャラクターですね...。映画でいえば、母親に旅行の許諾を取って喜んだ後に気を取り直すとことか、「エクセレント!」とか、かわいいですね...。s2e19冒頭の、文化祭買い出し先のコンビニ店員の視点も、天才のアイデア

 まあ最高なのはTVシリーズと映画共通のラストシーンですよね。『天使にふれたよ!』演奏。椅子に座る中野梓は完全に私たち観客と同化する。このことは映画版だったらなおさら強調される。これだけでも映画版の存在意義は大きい。それに、飛行機―翼―天使のモチーフもつながる。軽音楽部の出会いが『翼をください』の演奏と、「あんまり上手くないですね!」という反応だったことのリフレインもある。

 結末、大学について。『天使~』の歌詞の最後は「ずっと永遠に一緒だよ」である。放課後ティータイムのメンバーは「天使」との出会いを謳い、物語の終わりを迎える。これは天国へと旅立つということだ。物語の終焉はキャラクターの死である。死とは、永遠とは経験不能なものだ。超越的な物語の終焉、それ以降というものは語りえない。語りえないものについては沈黙せねばならない。「彼女たちの今後」についても、沈黙せねばならない(適当)

  三年生四人だけだったら、あの終わり方は難儀なものだっただろうけど、やっぱり梓という存在が歪さというか、風穴を開ける存在だと思う。私は中野梓に『けいおん!』の微妙なバランスのすべてを集約させてやっても構わないと思う。

 最後のセリフが「やっぱり下手ですね!」というのは登場人物の非成長性、非時間性の表れではある。しかし梓の本心とは逆の発言だとも考えられる。時間性を最も自覚し、俯瞰している梓が、非時間性に自ら協調するということ。それは梓が放課後ティータイムのメンバーである瞬間。映画版ではこのセリフが無音になったことからもやはりキーとなるセリフなのだ。

 物語に終わりがあるという事についても考えたい。もう少し自分の頭を働かせないといけないだろうか。

 もう寝よう、『けいおん!』についてはもう少しまともなことを書けるようになりたい。それくらいには好きな作品。